2016.11.14 Monday
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たけしのクイズパンチ付設 : 脇屋恵子の日記
2006.11.03 Friday
懐かしのクイズ番組特集 1986年3月30日 「世界一周双六ゲーム」
1980年から1986年まで6年間親しまれたクイズ番組です。
当初は関西ローカルで45分番組だったそうで(45分もクイズなんてスゴイ) 関東地方ではやってなかったんだよね〜。ぜひ45分時代のを観たかった…。 全国ネットで放送をされたのは1983年から。 当時は「アップダウンクイズ」の裏番組だったのですが(視聴者参加型クイズ番組がカブるなんてうらやましい時代だ)僕はアップダウンよりビジュアル的にこちらの双六ゲームの方が好きで毎週楽しみに観ていました。 あの中野トオルさんも優勝経験アリの名クイズ番組でした。 司会の乾浩明さんの独特のノリも大好きだったなあ〜。 ☆司会の乾浩明と中村友美 ☆解答者の皆さま ☆サイコロを振ってコマを進めます。 ☆オーロラコースで一気に29番モスクワまでワープ。 ☆ガックリ都市。ここに入ると東京に逆戻り。 カブールのほかにアジスアベバもよくガックリ都市でした。 ☆名物コーナー「HIROくんのちょっとブレイク」 Q 若山彰のヒット曲「喜びも悲しみも幾歳月」に歌われている職業は何でしょう? A 灯台守 Q 「双六はそろそろやめにしよう」と話していたら、今度はカルタを持ち出してきた東南アジアの都市はどこでしょう? A ジャカルタ(じゃ、カルタ) ☆気になる問題 Q 俗に「頭(こうべ)に神様が宿ったり、一生の宝を持っている」とされるのはどんな人でしょう? A 正直者 Q イギリスの有名な法学者ベンサムの有名な言葉「最大多数の最大幸福」に集約される社会思想は一般に何主義とよばれているでしょう? A 功利(主義) Q 「この杯(さかずき)を受けてくれ。どうぞなみなみ注がしておくれ。花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ。」と中国の于武陵(うぶりょう)の詩を訳した作家は誰でしょう? A 井伏鱒二 コメント
どうもどうも、お久しぶりです。一嫌韓派です。
僕は関西人で、31歳まで大阪に住んでましたので、この番組は見ていました。関西以外の人も出ていたと思うので、全国ネットかなと思っていましたが、西日本ネットだったみたいですね。 この乾浩明という人は、アナウンサーとしては当時では珍しく大阪弁を非常に使うことで有名な名物アナウンサーでした。(他に関西弁をよく使うアナウンサーといえば桑原征平ぐらいか?) 懐かしいなあ。よく映像を残しておられましたね。感激しました。^^ちなみに45分時代の頃はオーロラコースがないくらいで、他に違う部分はなかった気がします。また復活してほしいなあ。
| 一嫌韓派 | 2006/11/04 8:33 PM |
>一嫌韓派様
いつもこのクイズパンチをご覧下さりありがとうございます。 「双六ゲーム」、特に乾さんのお人柄が大好きでしたね。 「2出したらアカンで〜」など解答者にツッコミを入れるなど愛情あふれる司会者でございました。 セットなども今あらためてみるとチャチい部分もありますが、そこがまた味があっていいんですよね。 これからもちょくちょくお寄りくださいませ。 よろしくお願いします。
| 小倉 剛 | 2006/11/05 12:08 AM |
小倉さん、初めまして。昔は結構クイズ番組をよく見ていたものでした。例えば「アップダウンクイズ」(小池さん司会のとき)今回紹介した「双六ゲーム」(乾さんも関西弁まるだしですが、小池さんのようないい司会者でしたね、私はテレビ朝日のネットが始まってから知りました)、「ウルトラクイズ」(トメさんレポーターのとき)、「クイズダービー」(大橋さんの知的ぶりも見事でした。はらさん、ご冥福をお祈りします)などでしたね。昔はこうゆういいクイズ番組がありましたけどね(ダービーは変わりダネ、すなわち珍問、奇問が多かったですが、結構よかったですね)。いまのクイズ(ほとんどのジャンルのテレビ番組もそうですが)つまらなくて、くだらなさすぎるもんばっかりですね。腹が立ってしょうがありません。クイズとはあまり関係なくなりますが、「紅白」いつまでやる気なのでしょうか。内容も変だし、視聴率のことばっか考えているのだろう。いいかげんにしてほしい。だから、いまのテレビはほとんど見る気がしないのです。視聴率途上主義でもあるし、今、問題になっている「いじめ」の原因はテレビ(そして、ゲーム)にもあるんだろう。
| 名無し | 2006/11/15 10:17 AM |
双六ゲームは、とってもお気に入り。
| 南文弥 | 2010/03/20 11:45 AM |
双六ゲームは、北海道でもやっていた。
この番組がお好みでした。 ハバナ、リオデジャネイロ。僕は、大好き。 はじめて見たのが1984年3月25日。
| 南文弥 | 2010/03/22 12:59 PM |
>南文弥さま
クイズパンチにようこそいらして下さいました。 僕も双六ゲーム大好きで、裏番組のアップダウンクイズよりこちらを優先して観てましたね。 >はじめて見たのが1984年3月25日。 よく憶えてらっしゃいますね〜。
| 小倉 剛 | 2010/03/24 7:41 PM |
世界一周双六ゲームは、ソフトクリームの形のテーブル。
赤・青・黄・緑。
| 南文弥 | 2010/04/18 10:51 AM |
世界一周双六ゲームには、ラッキー都市、ガックリ都市があった。
| 南文弥 | 2010/11/21 11:50 AM |
南文弥さま
いつもブログをご覧下さりありがとうございます。 僕はラッキー都市、ガックリ都市で都市名を憶えたクチであります。 パースとか、アジスアベバとか。
| 小倉 剛 | 2010/12/01 11:09 PM |
リヤドにもガックリ都市があったのは、なつかしい。
| 南文弥 | 2010/12/19 1:01 PM |
第一問は、青のテーブルからスタート。
| 南文弥 | 2011/01/15 1:27 PM |
双六ゲームって、赤・青・黄色・緑。
青のテーブルに男性がいたんだってね・・・・・・。
| 南文弥 | 2011/03/20 10:39 AM |
赤と黄色が女性、青と緑が男性ってこと。
| 南文弥 | 2011/06/18 10:33 AM |
双六ゲームは、HTBでやっていた。
東京から、世界各都市を回っていただく。 「ブエノスアイレス」を「プエノスアイレス」と言ったり、 「ハバナ」を「ババナ」とか、 「ホーン岬」を「ホーン押」とか。
| 南文弥 | 2012/02/12 10:24 AM |
ガックリ都市は、35番シカゴから、43番リマまでの間でしたが、
いつの間にか15番ニューデリー〜20番リヤドの間になってしまった(22番ナイロビ〜25番アクラの間にもあったかもしれない)。 ラッキー都市は、8番ウェリントンから、42番サンチアゴまでの間でした。
| 南文弥 | 2012/05/20 8:48 AM |
世界一周双六ゲームは、ラッキー都市は、シドニー、ウィーンが常連だった。ガックリ都市は、カラカスが常連だった。
| 南文弥 | 2012/07/22 4:47 PM |
世界一周双六ゲームは、8番ウェリントンに止まっていた人が正解し、
[6]を出して14番コロンボに入り、 飛行機で21番アジスアベバまで到達したのが殆とんど多かった。
| 南文弥 | 2012/09/16 5:27 PM |
世界一周双六ゲームの末期を見ました。
2014年2月だけの1ヶ月間でした。 この問題には「大和朝廷」の「かばね」とか、 「山紫水明」などとか出ていた。 すべて女性の回答者だった。 これは28年前の1986年2月に出ていた。
| タイム食60 | 2014/03/16 10:04 AM |
世界一周双六ゲームには、
ラッキー都市、ガックリ都市、 飛行機やオーロラコース、 などなど盛りだくさんです。
| アツアバス | 2015/02/22 8:35 AM |
16番カブールで他人の解答者と重なったことがあります。
赤の解答者が11番ジャカルタで[5]を出し、16番に緑の解答者がいたから、そこから6つ奥の22番ナイロビまで行った。
| アツアバス | 2017/09/09 1:50 PM |
クイズタイムショックは、1969(昭和44)年1月〜1986(昭和61)年3月まで放送されていた。
1986(昭和61)年3月27日に「クイズタイムショック」が最終回を迎えた。その3日後、そのあとを追うように「世界一周双六ゲーム」も終了した。 2019(令和元)年現在、動画に残っているのは、「クイズタイムショック(最終回_昭和61年3月27日)」だけであった。 世界一周双六ゲームは、0番東京から、世界各都市を回っていただき、50番東京まで一周するゲームであった。 ちなみに最終回は、ダブルガックリさん大会であり、誰もゴールインすることなく終わってしてしまった。
| タイム食60 | 2019/06/29 4:39 PM |
他人のマスに重なった6つ奥がラッキー都市だった回があったのを知っていますか。
| アツアバス | 2019/06/30 10:01 AM |
1986年1月放送の世界一周双六ゲームでは、
緑の女性解答者が東京から正解し、 仮に1を出せば青の女性解答者がいるため それから6つ進んで7番から11番まで飛行機に乗って行けるが、 3を出したため、3番北京に止まった。
| アツアバス | 2021/11/14 9:07 AM |
もしも「世界一周双六ゲーム」が復活したら、
司会は嵐の相葉雅紀さんですよね。
| アツアバス | 2021/11/14 10:49 AM |
1985年3月の双六ゲームの振り直しで、
最終問題で仮に赤の解答者が24番ケープタウンで[2]を出すと 26番カサブランカから飛行機で33番モントリオールで青の解答者と重なるため、 39番リオデジャネイロまで行って青と入れ替わっていたかも知りませんでした。
| アツアバス | 2021/12/19 9:08 AM |
1985年9月の双六ゲームの振り直しで、
青の解答者が東京で[4]を出し、4番上海で緑の解答者と重なり、 10番パースまで行った。 その上このパースは「ラッキー都市」であった。
| アツアバス | 2021/12/19 9:11 AM |
世界一周双六ゲームの1985年秋〜冬の放送で
井月まなみさん、ゴールできなくてごめんなさい。
| アツアバス | 2021/12/19 11:07 AM |
横手和隆さん(広島県出身)はアメリカ西海岸旅行決定しました。
しかし、森幸子さんは2回もガックリ都市に入ってしまいました。
| アツアバス | 2021/12/19 12:34 PM |
渡邊典寧さん(神奈川県出身)はジャスト宣言する間もなく
アメリカ西海岸旅行決定しました。 高野みどりさんは、ゴールインできず、残念ですね。 しかし、小椋義顕さん、田村雅子さんは、 ともにガックリ都市に入ってしまいました。
| アツアバス | 2022/01/16 10:16 AM |
先ほど、世界一周双六ゲームの1984年夏の動画が出てきました。
緑の吉川けいこさんは35番シカゴで正解したものの [2]を出して37番ハバナで赤の藤素郎さんが止まっていたため、43番リマのがっくり都市に入ってしまい0東京に戻されてしまった。
| モモちゃん | 2024/01/07 8:23 AM |
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